■国連銀行SRPとケネディ大統領の夢

国連銀行SRPのストーリーは、あまり壮大で歴史的言えば、これほど興味深い世界は存在しません。近代100年の歴史の中で多大な影響を与えて来たと言えます。この歴史は、第一次世界大戦、第二次世界大戦に関する歴史的資産という呼び方を去れていますが、この歴史を知れば、本当の世界大戦の理由が見えてきます。つまり、世界が自由貿易をするために国際決済通貨をどのようにするかということでの覇権争いのために行われた戦争であるとも言えます。

通貨は、金本位制度が基本であるという考え方は、当時から主流であり、流動性のある価値ある資産というのは、ゴールドとしていました。つまり、世界のゴールドをすべて集めることができれば、国際決済通貨の覇権争いがなくなり、銀行業務として、紙幣を発行して通貨を流通させることが問題なくできるようになるという考え方で、世界中のゴールド資産を集めるということを行ったのが、金本位制度による派遣争いをやめさせるために重要な制度であるという位置づけで世界中のゴールドを集めることなったと考えられます。

この歴史については、ほぼ極秘扱いで、詳細の記録が公開去れることが少ないのですが、歴史的背景から見れば、その流れが読み取れます。国際決済銀行を作り、世界のゴールドを集めることになった英国、米国、フランス、日本、ドイツ、英国は、戦後の復興財源として日本を中心にSRPの資産を使って復興開発援助を行ってきた歴史があります。

日本のアジア奇跡と言われた経済復興もこのSRPの資産から米国が与信枠を日本に貸し出すという名目で日本は大量の日本円を発行し、1ドル=360円の固定レートで米ドルと貿易ができたために日本が当時は豊かになれたと言えます。

つまり、米国は日本銀行を通じて日本に多額の与信枠を提供したのは、これは、国連銀行SRPの資産ついては、多くは旧帝国日本軍が集めたものであるという歴史があるからです。

この事実は、米国歴代の大統領は皆知るところであり、このSRPの資産を使って国際貢献をするということで、名声を得るリーダーは複数人います。その中でも、JFケネディ大統領は、途上国の開発援助プログラムを今までは国防総省の管轄であったが、その後、国務省の管轄に変え、USAIDを設立して世界の開発援助を行ったことは知られていますが、その際にも、SRPの資産を大きく活用したいと思ったわけです。それついて、当時のSRPの管理者、インドネシアのスカルノ大統領がケネディ大統領と話をして、1963年にスイスのジュネーブでグリーンヒルトン協定を締結しました。スイスのUBSで大量のゴールドの運用をして、資金を世界の開発援助に使うことを目的で動きましたが、その後、例の事件で残念な結果になりました。そのために、後世に引き継ぎケネディ大統領が目指したことが実現できずにいました。あれから60年の歳月が過ぎ、国連規定を改正して、世界の国家政府への開発援助プログラムを実施することを実現化に向けてスタートさせました。SRPの資産については、米国財務省に登録をして、国務省でUCC担保設定をすることで、通貨を発行する仕組みで、そのマネージメント業務をメテ財団が行うことで、新しい世界給付金システムと世界連邦に向けての提案がスタートしています。つまり、これは、60年前に見たアジアアフリカなどの途上国の開発援助プログラムを実施して貧困問題を解決しようとしてたケネディ大統領の夢の実現のために、60年の歳月を経て、この業務をスタートさせていると言えます。2022年からメテ財団が資金提供のプロセスをスタートさせています。メテ財団は、国連加盟国に対して、国家元首(大統領もしくは、首相)が契約を結んだ場合には、100億ユーロの寄付を提供し、その後も継続的な資金援助を続けていく仕組みを提供しています。【世界給付金システム】